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我が国の近代以降の絵画については、一筋縄では語れない難しさがある。例えば、「美術」は明治時代以降、西洋の「芸術」という概念とともに輸入されたものであって、日本には元来なかったものだとする考え方があるからだ。もしそれが本当なら、話は簡単であり、どんどん輸入して、どんどんアレンジして、日本独自の文化にしてしまえばこっちのものなのだ(科学や工業やアニメがしてきたように)。

ところがどっこい、実際には芸術、美術という言葉はなかったとしても日本には深遠なまでの芸術的概念はずっとあったし(花とも幽玄とも言ったりしながら)また美術として扱われるものは、あった!のだ(精緻な工芸作品、浮世絵、絵巻など)。つまり西洋とは異なる形で存在していたのである。にも関わらず、西洋の美術概念が無かった!から無かった(工芸は美術で無いとされたり)。

となると、どこか無意識的に、有るのに無い、無いのに有る、というディレンマが発生していて、素直に、真似て学習して、血肉化して、和風化するという日本のお家芸ができなくなる。つまりは、うまく根付かない状況に陥ってしまったのであった。

それとは逆の例に、我が国に西洋とは違う形であっても存在していたことをはっきりと顕在意識で自覚しながら、自分たち日本と異なる西洋の表現と融合することが叶い、西洋でもより高く評価されたジャンルに、ファッションと建築がある。これらは日本と西洋の差異を意識的に対比させることで、独自の世界を提示でき、腰の据わった表現になっているがゆえに、近代東洋人としての文化を西洋が積極的に受け入れた世界的にも稀有な例と言えよう。

かたや美術は、自分たちの絵画表現を「日本美術」とかっこに入れて「西洋美術」と分け隔て、明治以前には「芸術」は無かったと定義することで、劣等感からの媚び、へつらいと、と同時に、無意識での葛藤を封印してきた、という残念な経緯となった。

日本では近代以降、西洋画を学んできた者たちに共通する悩みがある。

例えば、なぜ女性の裸を描かなければならないのか?なぜ輪郭線があってはならないのか?なぜ黒は色ではないのか?なぜこういった価値基準を盲目的に受け入れねばならないのか?

などである。

それが優れた西洋美術の考え方なのだと、頭では納得したつもりでも、体が嫌がって、心の深いところで悲鳴をあげていることにすら気づかずに。

画学生の描けない病、葛藤、ひいては教師である大人たちの戸惑いや思い込み、判断基準の曖昧さなどが、ディレンマを生み、懊悩が無意識に吹き出しているのだと、私には思えてならない。

このように、自己肯定するための美意識が否定されるジャンル、つまり判断は常に西洋、もしくはその走狗にあり作家側には無いとどうなるのだろうか…。

身近な例えで言うと、親によって行動の規範、目的、良し悪しを決められてきた従順な子供が、豊かな表現者になりえるだろうか?

私は、芸術に限らず、表現というものは主観が生命線であると信ずる。つまり判断は自分の美学で決めること、作品の価値観もまずは、自分で満足いくものを作り、その後発表するという行程を踏む、というのが真っ当なプロセスではないだろうか。

「自己満足」これこそが表現の始まりであり、根幹なのだと思っているが、近年は表現の場でも主観をないがしろにして、客観性や社会性を始めから要求する事態を散見する、この他者の視点を気にして行う表現が何であれ、深く人の心を打つことは決して無いのである。

さて、そこで藤原さんのことなのだが、彼女も学部時代は、高速で空回りする車輪みたく、やる気と上昇志向が実際の制作と噛み合わず、独自のスタイルを模索してもがいたようであった。

しかし転機は、4年生の時のイギリス留学時に訪れる。

そこで、英国人の教師たちに、様々なスタイルの作品を見せた後、「なぜ日本人なのに、西洋人みたいな絵を描いているの?もっと君の生活に根ざした文化があるんじゃないかな?」と指摘されたのだ。西洋に学びにきて、なぜか日本にいた時より、気持ちがすっと楽になり、自分の見て、触れて、育ってきた環境を、丸々受け入れていいのだと、そうでなければ小手先の作り物になってしまうと思わされた瞬間であった。

本当に自分が好きで、深く関わり、愛を語れるものこそが、作品にする意味があるのだと異国の地で”大悟”したのであった。

そうなれば、エネルギーとパワーなら有り余るほどある藤原さんは、水を得た魚、鬼に金棒、帰国してわずか2ヶ月の間に大作をものにして、アートアワードトーキョー で、三菱地所賞を受賞することとなった。

多くの美大生たちが、「描きたいものがない」症候群に悩まされていたのは、実は「描きたいもの」を描いてはいけなかったからなのだと、彼女にとってそれが、たまたまアニメであり、ゲームであったということなのである。

そしてさらに、藤原ワールドに分け入ってみよう。

歴史を見ると、画家の希求する表現とは、特に”光”と”運動”であると思うのだが、しかしながら絵画には、そのどちらもないのである。

だからこそ、古今東西の画家が、光を(カラバッジョ、レンブラント、フェルメール、ターナー、モネ、等)運動を(北宋の画家、平治物語絵巻、セザンヌ、キュビスト、クレー、モンドリアン、等)表現しようと苦闘したのであったのだ。

藤原さんも、アニメのエフェクトを応用して、補色、若しくは、強い色彩対比によるチカチカ現象を効果的に用いている。(チカチカという擬態音には既に運動が忍んでいる)。過去の作家の例で説明すれば、モンドリアンの「ニューヨークブギウギ」の三原色の並列によるチカチカ感は抽象絵画を動かす上でとても有用であるし、キュビズムや北宋絵画の地と図の反転も、脳内での運動効果を生み出している。

また、藤原さんによる蛍光色とラメ、少々ギミックな遠近法もアニメを見慣れた目には、そのシーンの前後を無意識に思い出させ、結果的に見る側が勝手に運動を見て取るという点で、斬新な時間表現といえよう。

とはいえ、やはり絵画は実際には動かないものなので、脳内記憶に頼るだけでなく、藤原作品は、スケールを巨大化することで(3m~10m以上)鑑賞者が作品の前、180度を、前後左右に彷徨いながら、作品の細部をクローズアップして観たり、パンしたり(映画撮影において平行移動すること)下がって俯瞰したりして、映画のように、絵画の時間を体感するのである(これが大作絵画の魅力)。

絵画において、光と運動を希求するというのが、王道と言えることを理解していただいたところで、さらに藤原絵画の魅力として「実存性」を挙げたい。

「実存」という言葉は哲学用語でもあり、これも定義が難しいのだが、ここでは、「個人の内的葛藤」ぐらいに捉えてくださると良いだろうか。

近代になって芸術は、自身の内なる心理的問題を昇華させるために表現する作家が増えた(日本の私小説や表現主義絵画など)。藤原さんの作品から、そういった個人的な悩みや、葛藤を見て取ることは容易ではない。一見ポップで能天気な元気印の作品に思えるからだ。しかし、藤原さんにとって制作の動機そのものが、自己承認欲求の探求や、繊細すぎて心の折れた日々を何とかして止揚すべく戦う場である事を理解していただくと、あのラメや蛍光色に彩られた画面に彼女の咆哮が聞こえてくるはずだ。

空気を読んで、笑顔で、陽気に振る舞うのが現代のマナーだと言うが、どんなに鉄の鎧を心と顔に装備しても、無意識レベルで身体は、心は傷ついていくものなのだ。現代の多くの若者が心身を病んでいくのも、心の叫びを無かったことにして生きてきた代償なのではないだろうか。ここで先に述べた日本の近代美術の無意識のディレンマとも繋がる。

だからこそ、藤原さんが、腹を割って、据えて、覚悟して作品を作ることで、少しづつ彼女自身が治癒されていくという、「自己肯定的実存」であると言えるのだ。

今後の藤原さんは、どのような展開を見せてくれるのだろうか?

普通に考えれば、より精度と完成度を上げ、よりゴージャスなアニメの絵画化に向かうのだろうが、いや、藤原さんはもっとワイルドな野生的作家ではなかったか?だとすれば、むしろ逆行して、ストロークの復権や、手作業の、アナログな、より人間臭い作風になっていくのかも…?どちらにしても、AIの活用さえ視野に入れながら、より豊穣な作品を見せてくれると、期待と希望を込めて。この文章の幕を閉じたいと思う。

吉本作次